世界の果てまで征服するアレクサンドロス大王像─中央アジアからチベット、日本の博物館まで
[講演会] フランツ・グルネ(コレージュ・ド・フランス)、アンカ・ダン(フランス国立科学研究センター、パリ高等師範学校)
18:00~20:00 601号室 同時通訳付
1932年から1933年にかけて、ギメ美術館の主任学芸員であり、アフガニスタンフランス考古学代表団の事実上のディレクターであったジョゼフ・アッカンは、所長の座を譲り受けたばかりの日仏会館で、アフガニスタンにおけるフランス考古学のプログラムに関する一連の講演会を行った。アレクサンドロス大王の東方遠征の遺産の研究は、アフガニスタンフランス考古学代表団にとって最大の関心事であったが、ギリシャ仏教美術について目覚ましい発見をするにとどまっていた。 (ギリシャ人による古代都市アイ・ハヌムが発掘されたのは1964年になってからだった)
一連の新しい発見、特に古い発見の再解釈により、今日、私たちはアレクサンドロス大王の運命を、記憶に残る人物としてよりよく辿ることができる。彼を英雄として崇拝する風潮が西洋のビザンチン時代の初めまで残り、『アレクサンドロス・ロマンス』が(聖書に次ぐ)世界で2番目のベストセラーであったことはよく知られているが、中央アジアで作られた美術品を見ると、彼の記憶は6世紀にまで遡ることが分かる。東イランの文化に色濃く遺るアレクサンドロス大王の存在は、彼のイメージが今日までペルシャ語圏の文学的記憶に残っていることを考えれば、当然のことと言えるだろう。
本講演会では、主に以下の内容について発表する。
-アレクサンドロス大王の肖像画が描かれた一連のサマルカンドテラコッタの頭像。アレクサンドロス大王が中世、創設者であったと言われたこの場所でのみ生産された。
– ロシア(ペルミ地方)で発見された銀の鉢。現在はエルミタージュ美術館所蔵で、おそらく4世紀にバクトリアで作られたもの。アレクサンドロス大王がサマルカンド近郊で虎を狩った歴史的なエピソードが描かれている。
– 1961年にとあるチベット移民の家族から入手した銀の鉢「ラサ」。アレクサンドロス大王が太陽と月の聖域で発見した香の木と不死の泉をユダヤ版で描いたもの。この美術品のテーマは、彼のその後の運命と同じく、アレクサンドロス大王の記憶の偏在性と可塑性を示している。この鉢は最初にチベットの古都ラサで報告され、20世紀にイギリスに到着し、現在は東京の美術館に展示されている。
アンカ・ダンは、古代科学教授、フランス国立科学研究センター(パリ大学、パリ高等師範学校)研究員。彼女はギリシャ人とローマ人を他の文化(イラン、ユダヤ、トルコ)と関連付けて研究し、これらの文化を形作った文化の転移をを強調している。言語学者、歴史学者、考古学者であり、古代地理学の研究を専門とし、古代の風景を再構築し、社会間だけでなく人々と環境の間の相互決定的な関係の理解を可能にする地質考古学の探査と発掘(現在はギリシャとグルジア)を指揮している。地中海東部、黒海、アジア (https://cv.hal.science/anca-dan) に関する出版多数。近著に、Histoire de l’Europe. Origines et héritages(ヨーロッパの歴史に関する教科書) (パリ 2024, https://passes-composes.com/book/412)がある。
【司会】影山悦子(名古屋大学附属人類文化遺産テクスト学研究センター)
【主催】日仏会館・フランス国立日本研究所
【協力】フランス国立科学研究センター、パリ高等師範学校、コレージュ・ド・フランス、名古屋大学人文学研究科附属 人類文化遺産テクスト学研究センター