『レノーレ』 ― テキストとイメージ

森田 直子
(熊本大学)

日仏会館セミナー <テキストとイメージ> 2000年12月16日研究会発表予稿

[セミナー日程]

[更新:2000-12-01]


発表要旨

若い娘レノーレが七年戦争(一七五六―一七六三)に出征した恋人ヴィルヘルムの帰りを待っている。プラハ近郊でのフリードリヒ二世の勝利ののち、兵士たちは故郷に戻ってくるが、ヴィルヘルムの姿は見つからない。レノーレは絶望し、神に対する冒涜の言葉を吐く。ところがその晩、真夜中近く、ヴィルヘルムが鎧をまとった騎兵の姿でレノーレのもとに現われ、これから婚礼の場所まで百里の道のりを行かねばならないと告げる。二人を乗せて、黒い馬は風のように駆け抜ける。ヴィルヘルムは絶えずレノーレに「死者は速く駆ける」という言葉をかける。朝一番の鶏が鳴く頃、馬は墓場に着く。墓から死者たちが起き上がる。ヴィルヘルムの身からは鎧がこそげ落ち、骸骨が現われる。大地が口を開けてヴィルヘルムとレノーレ二人を飲み込む。

これは、ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーが一七七四年に発表したバラッド『レノーレ』の梗概である。このバラッドはスタール夫人の『ドイツ論』によって最初にフランスに紹介された。新古典主義時代のフランスでは、このおどろおどろしい幽霊花婿譚に対する拒否反応も見られたが、一八三○年ごろまでに原文にかなりの改変を加えたさまざまな翻訳が普及し、原文よりもエロチックでいとけないヒロインのイメージとともに『レノーレ』熱が高まり、これを題材とする絵画作品も生まれた。

フランスのロマン主義時代は、絵画が「物語る」ことから分離したいわゆる「近代絵画」の成立に先立って、物語と絵画の結びつきがそれまでになく強固になった時期である。『レノーレ』を主題とする絵画はロマン主義における文学と絵画の関係の成熟をとりわけ顕著に示しているとみなされている。フランスで出版されるロマン主義芸術の解説書には、必ずといっていいほどオラース・ヴェルネの『レノーレのバラッド』(1839)かアリ・シェフェールの『レノーレ―死者は速く駆ける』(1824-1830?)が掲載されている。これら二作品はいずれも、レノーレがヴィルヘルムの亡霊とともに百里の道のりを馬で駆け抜ける場面、バラッド中のクライマックスにあたる場面を対象にしている。が、シェフェールは行程のまんなかあたり、ヴェルネは目的地に着いたところを取り上げており、両者の「物語る」内容は微妙に異なっている。また、これら二作品はいずれも亡霊(ヴィルヘルム)を描くという難題に取り組んでいる。「亡霊」の描き方は西洋絵画の伝統においてさまざまなタイプが発達してきたが、ロマン主義絵画において「亡霊」が比較的多く取り上げられたのは、同時代の文学において「亡霊」というテーマが好まれたこととと呼応している。これら二つの絵画作品は、単に『レノーレ』というドイツのバラッドを題材として採用しただけでなく、ロマン主義時代の物語趣味を反映している。


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