葛飾北斎筆「西瓜図」の謎 ― 伝説と蔬菜図のあいだ

今橋 理子
(学習院女子大学)

日仏会館セミナー <テキストとイメージ> 2000年10月28日研究会発表予稿

[セミナー日程]

[更新:2000-10-12]


発表要旨

 幕末期の最も著名な浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)の晩年の肉筆画の名品に、「西瓜図」と呼ばれる作品がある。現在、宮内庁所蔵のこの作品は、そのモチーフとされたスイカの一風変わった姿と構図から、北斎という画家特有の<奇想性>を顕著に示す作例として、多くの研究者によって繰り返し評価されてきた。しかしそのような評価は、この絵の画面中に「北斎」という署名が明らかに見出だされるがゆえで、もしその署名がなかったら同じ評価が繰り返されてきたかどうか、私には疑問に思われる。

 野菜や果物を描いた絵画は、東洋画では通常「蔬菜図」と呼ばれ、いわゆる「花鳥画」の範疇に入るものと規定される。だが北斎の「西瓜図」の図様は、そうした伝統的な「蔬菜図」の図様と大きくかけ離れ、鑑賞者に意外性をもたらす。東洋画の「花鳥画」では伝統的に、ある生物や植物を描くと、そこにその事物が寓意としてもっている「意味」を象徴的に導き出す仕掛けがなされる。北斎の「西瓜図」においても、図様の意外性に留意しつつ、描かれた「スイカ」自体に、何らかの意味が隠されていないかどうかを検証すべきであろう。

 私はこの作品を読み解くために、今回酒井抱一(1761-1828)筆「七夕図」を傍証とした。抱一のこの作品は、いわゆる現代の日本人が知る「七夕祭り」を描いたものではなく、その祭りの前身ともいえる、中世以来宮中で執り行なわれてきた「乞巧奠」の儀式を象徴的に描いたものである。「乞巧奠」の起源は古代中国に求めることができるが、その儀式には、「星占」という呪術的意味合いと、<牽牛星>(鷲座のアルタイル)と<織女星>(琴座のヴェガ)と呼ばれる二つの星をめぐる恋の伝説――いわゆる「天の川伝説」が重ね合わされていた。

 「乞巧奠」を主題とした絵画は日本では通常、一年間の行事(年中行事)をめぐる「風俗画」として多く描かれ、「乞巧奠」や「七夕」の祭りを描けば、<七月>を示すものとする了解が暗黙のうちに古来よりなされてきた。だが抱一の作品では、通常の「風俗画」で描かれるべき人間たちの姿が排除されている。そして「乞巧奠」という儀式のクライマックスを示す象徴的な事物――すなわち水の入った「盥」(たらい)と供物の「糸」のみを描いている。抱一はこれら二つのモチーフを儀式の中から抽出することにより、「乞巧奠」を<記号化>しているのである。

 そうした図像の<記号化>の眼差しで、再び北斎筆「西瓜図」を眺めて見ると、抱一筆「七夕図」との驚くべき一致が見えてくる。北斎の描いた「半身とされたスイカ」の姿や「細く長く削られたスイカの皮」は、それはそのまま、抱一の描いた「盥」や「糸」と、完全にオーバーラップして見えてくる。しかもそこには、古代中国に発生した「天の川伝説」を語り継いできた日本人たちが、『万葉集』以来、和歌の世界で育んできた「天空の恋物語に我が身を仮託する」という<ロマンティシズム>をも、私たちは発見することになるのである。つまり北斎筆「西瓜図」は、作者の<奇想性>を示す単なる「蔬菜図」ではない。実はスイカに見立てられた「乞巧奠」という「風俗画」であり、さらに「天の川伝説」をも示す「物語絵」となっているのである。

参考文献


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