旧フランス領アフリカにおいてアフリカ諸言語はどのようにして「復権」され得るのか? ― セネガルの事例から

砂野幸稔
(熊本県立大学)

国際シンポジウム「言語帝国主義の過去と現在」 (1999年10月22日〜24日/於 日仏会館・一橋大学)

[目次]

[更新:1999-11-10]


発表要旨

0.「地域語・少数言語」?

旧フランス領アフリカのアフリカ諸言語を、フランスのブルトン語などと同列に「地域語・少数言語」として扱うことはできない。

セネガルをフランス語帝国の一地方と考えれば、土着のアフリカ諸言語の復権運動はフランス語支配に対する「地域語・少数言語」の復権運動と考えることもできるが、セネガルの中では土着のウォロフ語が多数派言語であり、その他の言語の間でも地域における多数派を形成するものと少数言語が存在する。そうした重層的な関係のなかで一つあるいは複数のアフリカ諸言語が「復権」するということは、必然的に新たな「少数派」言語を生み出すということを意味する。

1.セネガルにおけるフランス語単一言語支配

地域語が復権されているフランス本国と異なり、セネガルでは、いまだにほぼ純粋なフランス語単一言語主義が、公教育と行政をはじめとするあらゆる公的な場面で維持されてる。行政の言語はもちろん、教育の言語も、現在も100%フランス語である。6言語が「国語」として指定されているが、ほぼ有名無実のものにとどまっている。

背景には、タンザニアのスワヒリ語、ナイジェリアのハウサ語などを文字言語として整備し、用いたイギリスの場合と異なり、アフリカ諸言語を蔑視したフランスの植民地行政がある。セネガルではウォロフ語、フルフルデ語などがイスラム文字文化の伝統を持つが、スワヒリ語、ハウサ語の場合と異なり、これらの言語では、イスラム文字文化の伝統が「近代」に接続されず、フランス語が体現する「近代」の埒外におかれた。

2.言語ナショナリズム

しかし、セネガルには、アフリカ諸言語にそうした「近代」を担わせようとする言語ナショナリズムの伝統が植民地期から存在していた。

「アフリカ語」の十把ひとからげの否定に対してその復権が主張される限りにおいて、この言語ナショナリズムはすべてのアフリカ語の名において語っていたが、その実態は「セネガルの国民語」としてのウォロフ語ナショナリズムだった。

少数の知識人が限られたサークルの中で討議している限りでは、この「国民語」主義のはらむ問題はあまり意識されることはなかったが、フルフルデ語など他の言語について同様の動きが起こってくると、フランス語単一言語主義を批判することだけでは不十分となり、ウォロフ語とそれ以外の言語の関係が問われるようになってきている。

とくに93年以来大量の外国資金が導入されて展開されている識字キャンペーンの中で、自言語防衛型の言語ナショナリズムの兆しが感じられる。

3.「復権」のために

アフリカ諸言語にとって、問題は文字言語としての地位を獲得することである。そのためには標準語の形成、公教育への導入が不可欠の条件となる。そして、どの言語を、いくつの言語を、どの段階まで導入するかが決められなければならない。

アフリカ諸言語の「復権」とは、フランス語支配とのたたかいだけではなく、実は重層的な多言語状況をどのように制御するのかというたたかいをも意味する。


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