英語帝国主義の過去と現在

ロバート・フィリップソン
(ロスキルデ大学)

国際シンポジウム「言語帝国主義の過去と現在」 (1999年10月22日〜24日/於 日仏会館・一橋大学)

[目次]

[更新:1999-11-10]


発表要旨(代読)

英語のある特権的な形式が、国民国家建設の過程のなかで、ブリテン島とアメリカ合衆国の内部でいかにして支配言語としての地位を占めるにいたったかという問題についての研究は数多くある。これは英語のほかの形式(いわゆる「方言」)と英語以外の言語にたいするあからさまな言語殺戮政策であった。この戦略は大英帝国全体に輸出された。19世紀はじめから、適切な態度、技能、価値を育成するに際して教育が果たす重要な役割が認識されてきた。たしかにイギリス・アメリカの支配を受けた地域では、フランスの植民地よりも、初期の学校教育では土着の言語を使おうという努力がみられたが、構造的にみれば、支配言語と土着言語との言語の階層制はおなじような政策とイデオロギーをふくんでいた。

イギリス・アメリカの言語帝国主義は、植民地以後の世界のいたるところですがたをあらわしている。今にいたるまでヨーロッパの諸言語は、その支配を維持してきた。エリートが土着の言語を強化することによって「近代的な」経済・政治構造のなかで構造的権力をもつことができた例は数えるほどしかない。1960・1970年代にイギリスとアメリカは、自国の影響を維持し投資を保護するための道具として、言語政策を用いようとしてきた。1990年代には、この役割は世界銀行に引き継がれた。世界銀行は、土着の言語を援助するような甘言を弄しているが、実際には資産はヨーロッパの言語に割当てられている。冷戦以後の世界では、おなじような措置と抑圧がすすめられている。国と国とではかなりのちがいがある。

南アフリカでは、言語政策は多言語使用を強化する方向ですすめられている。しかし、国内・国外の市場の力は、さまざまなアフリカの諸言語を犠牲にして英語の地位を強化しているようである。

ヨーロッパ連合では、英語化(Englishisation)はグローバル化とヨーロッパ化のひとつの側面として進行している。そこには、国家の内部あるいは国家を超えたレベルでより公正な言語的秩序を打ち立てようとする政策は皆無である。

「英語帝国主義」の分析は、経済・政治・文化・教育における政策がどのようにして言語差別的な(linguicist)やりかたでおこなわれているかという問いに批判的にとりくむ必要がある。さらに、いかにして英語が「ポスト帝国的」「ポスト国民的」なものとして市場に出まわるかについての批判的な言説分析にとりくまねばならない。 いわゆる「ことばの専門家」たちは、英語をすべての者にひとしく役立つポスト=エスニックでグローバルな道具とみなしている。ところが現実には、英語は特定の者、すなわち、ますます不和と不正がはびこる世界で権力の座についている者たちの役に立っているのである。


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