「国語」と言語的公共性

イ・ヨンスク
(一橋大学)

国際シンポジウム「言語帝国主義の過去と現在」 (1999年10月22日〜24日/於 日仏会館・一橋大学)

[目次]

[更新:1999-11-10]


戦前の日本の「植民政策」研究者であった矢内原忠雄(ヤナイハラ・タダオ)は、1937年に発表した論文「軍事的と同化的・日仏植民政策比較の一論」のなかで、日本とフランスの植民地政策がきわめて類似していると論じた。まず、本国と地理的に隣接した領土を軍事的に征服することがあらゆる植民政策の出発点となっている点、そして、軍事的に領有した植民地にたいして内地延長主義をとり「本国中心の一体的ブロック経済」をつくりあげようとしている点が指摘されている。しかし、矢内原がもっとも重視したのは、両国が極端な「同化政策」をとり、その中心に言語教育をすえている点である。そして矢内原は、この点で日本の「同化政策」はフランスよりもはるかに徹底しているという。つまり、「植民地人に日本語を教えることによつてこれを日本人と化せんとする事が、我国植民地教育政策の根本として把持せられてゐる」のであり、そこには日本語と日本精神を同一視する考え方があるというのである。

近代日本における「国語」の概念は、日本精神と一体化した日本語という考え方にもとづいている。日本語における「国語」は、たとえば英語で“national language”というときのように、一般名詞的な意味にはけっして還元できない独特のものをもっている。それは「国語」の固有名詞的用法である。つまり、多くの場合、「国語」とはすなわち「日本語」のことだという理解が自明のものとなっている。(たとえば、「国立国語研究所」を“National Language Research Insititute”とそのまま翻訳することはできない。)

しかし、「国語」と「日本語」とは完全に意味内容が重なるわけではない。それはたとえばつぎのような用法の対立を見ればわかるだろう。国語教育/日本語教育、国語学/日本語学、等々。一般的にいえば、「日本語教育」とは外国人に対するもの、「国語教育」は日本人に対するものであると理解されている。このような理解の前提には、「日本人」はすべて「日本語」を母語とするという暗黙の想定がある。つまり、「日本=日本語=日本人」という等式が、日本の言語意識を支配しているのである。

日本の植民地言語政策は、このような言語意識に貫かれていた。日本統治下の台湾、朝鮮などの植民地でおこなわれたのは、「日本語教育」ではなく「国語教育」であった。それは異民族を「皇国臣民」につくりかえる教育であったからである。

このような言語的感性はいまでも生き残っている。これはつい最近のことであるが、ある小学校では、クラスに日本人以外の生徒がふえてきたために教科名を「国語」から「日本語」に変更した。しかし、教育委員会はこの変更に反対し、やむをえず「国語」にもどしたとのことである。ある新聞報道は、教育委員会のこの措置を歓迎し、「国語」という教科名を「日本語」に変えると、どこの国の授業かわからなくなると論評していた。

日本において「国語」は、人為以前にある一種の自然的実体としてとらえられているために、「国語=母語」という等式さえたやすく成立してしまう。日本における言語的イデオロギーの詐術の最たるものは、「母語への愛着」がたやすく「国語への愛着」へと変換されてしまうことである。(日本では国家でさえ人為的構築物よりは自然的実体としてとらえられがちである。)

このような状況では、「美しい日本語を守れ」というスローガンは、「母語の擁護」のように見えながら、実際には「国語イデオロギーの表明」になっていることのほうが多い。

日本における「国語」は、外部をもたず、内部で無限に膨張することのできる閉域をつくりあげている。そこに他者の入り込む余地はない。このような「国語」の体制のもとでは、多言語であることが社会の通常のありかたであるという認識もひろまらないであろうし、なによりも、真の意味での言語的公共性は成立しえないであろう。


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